少子高齢化は解決する?若い世代は結婚や出産の意欲が高いという話

とある集まりに参加したとき、高校教師をやっている方が多くいて、「今の学生は上の世代に比べて人あたりが良く社交的で、恋人を作りやすい」という話をしていたのが印象的でした。

こりゃあ、少子高齢化も解決するかもな」というわけです。

今の若者はコミュニケーション能力が高い?

現在の10代から20代前半くらいの若者は、コミュ力が高く、結婚や出産にも前向きで、「機嫌よくいること」の価値を理解しているらしいです。

ただ、これはよく考えたら、生きていくためのプリミティブな能力を重視しているということで、ごく当たり前のことなのかもしれません。

逆に言えば、ゼロ年代から10年代前半あたりにかけての、「非モテ」「オタク」「バリキャリ」といった、「人間関係を重視せず、自分の趣味や関心に時間を使いたい」という人たちが、むしろ特異な存在だったということになるのではないでしょうか?

特定のことに習熟しても幸福度が上がるわけではない

人間の脳の仕組みから「幸福」を考えるのではれば、以前より良い状況になっているときに人は幸せを感じ、以前よりも悪い状況になっているときに人は不幸を感じます。脳の報酬系が、人をより良い状況へ駆り立てようと作用するからです。

そのため、幸福感それ自体は、誰にとってもある程度釣り合いがとれるようになっています。

みんなは成功したスポーツ選手や、優れた知性を持つ学者、美しいモデルやアイドルに憧れますが、若くして栄華を極めた人は、人生の後半戦は不幸を感じやすくなります。

実際、スポーツ選手は大金を稼いでいながらも、引退した後に破産するケースが非常に多く、平均寿命も一般人よりも短いです。若く美しい女性はみんなの憧れの対象になりますが、その時期の幸福感を基準に据えてしまうと、容姿が衰えた後の人生は不幸でしかないでしょう。

その人の中の相対的な変化で幸福感が決まるのであれば、社会的な地位や才能の有無などにはあまり左右されず、幸福の上限はほぼ定まっていると言えるでしょう。

日本では「幸せ」のことを「仕合せ」と書くこともあります。語源は「し合わす」で、帳尻が合う、といった意味が込められています。昔からそういう捉え方がされてきたわけです。

致命的な不幸を避けることこそが幸福の上限

ただ、生活や健康が破綻するほどの大きな「不幸」は、幸福度を大きく下げます。

致命的な不幸に見舞われるのでなければ、あとは人間の幸福の上限は決まっています。

つまり、致命的な不幸がない人生こそが、人が得られる幸福の上限だと言えるでしょう。

そして、人間にとっての、致命的な不幸の代表例が「孤独」です。孤立してしまった人間はあらゆる能力が低下し、幸福度が大幅に下がります。

若くて健康な頃や、能力があるうちは「孤独」の恐ろしさに気づきませんが、50代、60代くらいになって一人きりだったとき、本当の孤独の恐ろしさが牙を剥きます。

それを考えれば、人間関係を犠牲にして大きな成功を為した人は、むしろ不幸に近いところにいるのかもしれません。

幸福になることを考えるのであれば、人間関係をよく保つ努力をして、他人の気に入らない部分を許せるような人格を作り、家族や友達と仲良く機嫌よくやっていこうとするのは、非常に合理的な戦略と言えるでしょう。

実力的に秀でようとしても、自分がそれだけ幸福になるわけではないし、周囲の人が幸福になるわけでもありません。

「良い大学に入ったけど家族との関係が悪化している」と「勉強はできないけど家族と仲良しで友達も多い」とでは、幸福度の観点で言えば圧倒的に後者に軍配が上がりやすいのです。

下の世代は上の世代の失敗をよく見ている

現世代の価値観が「コミュニケーション重視」だとしたら、自由化、グローバル化、インターネットの影響が強かった上の世代の価値観は「能力重視」でした。

新入社員に求める能力として「コミュニケーション能力」を企業が挙げるのを、鼻で笑っていた人が多かったのです。

男性正社員が家庭を支えるという今までの日本的な仕組みのアンチテーゼとして、契約社員でもフリーランスでも実力主義でやっていけるのが素晴らしい、旦那に頼らず自立して働く女性が素晴らしい、何かで成功することが自己実現だ、ということになりました。

しかし、実力主義や個人主義的な考え方に心躍った人びとの多くが、結果的に所属も家庭も得られず、孤立に突き進んでいる様が顕在化しています。

下の世代はなんだかんだで上の世代のことをよく見ているもので、基本的には上の世代と違ったことをやりたがります。

今の若者が、知識や仕事力よりもコミュニケーション能力と人間関係を重視しているのも、無理もない流れかもしれません。

みんなが目指す人気者像が、ネガティブなことを言わない明るい人になった

上の世代が直面した初期のインターネットは、リアルな世界には馴染めない人たちの楽園でした。

人付き合いが苦手なインテリ層にとって居心地の良い環境だったのです。動画を投稿できるだけのスペックがまだなかったので、文章でのやり取りが基本だったし、一定のリテラシーがなければコミュニティに参加できませんでした。

一方で現在は、インターネットは誰もがアクセスできて当たり前のインフラです。動画の投稿や視聴も当たり前のように可能です。そして、「ヒカキン」や「はじめしゃちょー」といった大物YouTuberが時代の覇者になりました。

YouTubeの世界では、家族と仲が良く、友達がいっぱいいて、一緒にいて楽しそうな人たちが大スターになりやすい傾向にあります。

人気YouTuberはネガティブな発言や誰かが不快になるような言動に気を使い、匿名ネット世代にありがちな皮肉めいた態度はとりません。そこらへんに関する彼らの気の使い方は、非常に洗練されたものを感じます。

環境が大きく変わったのです。リアルでは行き場のない人たちを包摂するようなインターネットは過去のものになりました。当然ながら、一部の層を除いて、今の若い人たちがそのようなものに親しみや憧れを持つこともなくなります。

現役世代のほうが正しい?

現在の30代から20代後半くらいの世代は、ある意味では恵まれていたといえるかもしれません。内向的な人が居場所を得たり活躍できる分野がたくさんあったからです。

友達なんかいなくても努力して自分の実力を伸ばしていけ、頭いいやつ、能力のあるやつが偉い、と言われていた時代は、贅沢だったのです。

今の若い世代は、もっとシビアな気運の中を生き延びようとしているのかもしれません。少子高齢化、世代間格差、必要とされる知識が技術の高度化など、問題の難易度が絶望的に上がっています。そのため、有能であろうとするよりも好かれるやつになろうとし、機嫌よくいることの価値を体感的に理解しているのです。

実力で他より秀でることを目指すよりも、楽しくて人あたりの良い人間になり、異性や友人と楽しく過ごして家庭を持とうとしたほうが、「孤独」などの大きな不幸に見舞われる確率は減ります。生存戦略としては非常にまっとうなものなのです。

個人的にも、今の若い世代の「人に見られることに対しての意識の高さ」のようなものはよく感じます。

上の世代は、「今のキッズはパソコンも持ってないしスマホでYouTubeばっかり見てて大丈夫なのか?」と言う前に、人間関係を重視する彼らの繊細な努力に目を凝らしてみるべきかもしれません。

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