結婚して出産するべきか?子供を産めと言われる風潮について

「結婚して子供を産むべきなのか、産まなければいけないのだろうか」ということで悩む方は多いと思います。

今回は、「結婚して出産しろ」という圧力がどのような形でわたしたちに働きかけるのか、それにたいしてどう対処すればいいのかを解説します。

「個人の自由である」というが現代の常識的な考え方

現代的な価値観を持っているほとんどの人が、「結婚も出産も個人の自由」だと考えています。

少なくとも、「女は結婚して出産するべきだ」なんてことを言うべきではない、くらいの常識は持っているでしょう。

「結婚も出産も当事者が決めることであり、デリケートな問題でもあり、その手のものに土足で踏み込むような発言をすれば大勢から反感を買う」といった認識は多くの人が共有しています。

一方で、「子供を産まない人はズルい」という考え方をする人もいて、しかもそのように考える風潮は強くなりつつあります。

その理由は、少子高齢化です。

なぜ「子供を産まないといけない」という考え方をする人がいるのか

人間は本能的に「子供を産まないといけない」と考えます。集団で生活している以上、近くの人にも子供を産み育ててくれることを望みます。

「人口の再生産」に対して何の圧力も働かないような共同体は存在しません。もし仮にそのような共同体が発生しても、長期的には存続できないでしょう。次世代を生み出さない集団に未来はないからです。

また、「平等」の観点から言っても、子供を作れるのに作らなかった人のほうが得をすると考える人は多くいます。

子供を一人前に育てるには大きなコストがかかります。一方で、親世代の社会保障は子供世代の税金によって賄われる仕組みです。子供を育てるというコストを支払わなかった人が、子供を一生懸命育てた人と同じだけの社会保障を享受するのは不公平ではないかということです。

この対策としては、子ども手当や、子供の教育費を社会全体で負担していくなどの方法がありますが、日本ではその試みは成功しませんでした。そのため、「子供を作らない人は社会にフリーライドしている」という考え方を抱きやすい土壌にあると言えます。

子供を育てることは「大変ではあるけどやらなければいけない義務」であり、子供を作らないという選択は、「過去の遺産を食いつぶして自由を謳歌している」と捉えられるのです。

ある行動が良いか悪いかは状況によって決まる

個人の選択が周囲からどう見られるかは、絶対的な基準があるわけではなく、相対的に決まります。

  • 結婚して子供を3人以上産むのが当たり前の社会では、「子供を産まなかった」ことは、同情や尊敬の対象になります。
  • 少子高齢化で人口減と若年層の負担が懸念されている社会では、「子供を産まなかった」ことは、義務の放棄と見なされやすくなります。

その点で言えば、男性平等や個人の権利、選択の自由が尊重されているように見える現代も、実はかなり「子供を産まない人」に対して圧力がかかっている時代なのです。

「おせっかい」な人の根底に潜むもの

親や親戚や職場などで、「結婚しないの?」「子供産まないの?」という主旨のことを言われて嫌な気分になる人は多いようです。

この手のデリカシーのない「おせっかいな」人に対しては、「ほっといてくれ!」と思うし、場合によっては長く怒りを引きずります。

しかし、このような「おせっかい」な人の根底に潜むのは、「無知」ではなく「攻撃性」です。共同体の存続に貢献しない人間を嫌っているのです。

現代的な価値観では、子供を産めと公に言ってはいけません。だから、善意を装って、「お前は社会に何の責任も果たさないつもりか?」「育児にコストを支払わないってズルくない?」と言いたい悪意を、「付き合ってる人とかいるの?」「子供って大変だけど本当に可愛いよ!」という形に置き換えているのです。

注意したいのは、そういう「おせっかい」な人が明確な悪意や攻撃したいという意図を持っているわけではないことです。子供を産めと独身に圧力をかけるのは、ほとんど本能的なものであり、ある程度は仕方ありません。

本当に怖いのは他人の悪意ではなく自分の内面

たしかに、周囲からの「結婚して子供産め」という圧力はムカつきますが、毎日言われるわけでもないし、ちょっと言われたくらい適当にはぐらかして気にしなければいいだけです。

そうなのですが、多くの人は、ちょっとした一言に過敏になり、大きく傷ついてしまいます。

その理由のひとつは、先ほど述べたように、「付き合ってる人いないの?」「子供って可愛いよ」といった「おせっかい」は、関心や全員を装った攻撃的な感情だからです。よって、ほんの少しのことでも辛くなるのは無理もないです。

もうひとつの理由は、「子供を作らない人は社会のフリーライダーだ」という考え方を、自分自身が内面化してしまっているからです。

「子供を持たなくたって何の問題もない」と確信できている人は、他人に何か言われたくらいで怒ったり思い悩んだりはしません。しかし、自分自身で子供を持てないということに対して罪悪感や敗北感を感じている場合、ちょっとしたことが大きくのしかかってきます。

「子供を産むか産まないかは個人の自由でありどちらの選択も尊重されるべき」というのが現代の価値観であり、表向きにはほとんどの人がそれに同意します。しかし、少子高齢化という状況も相まって、多くの人が暗黙に「子供育てない人ってズルくない?」と考えてしまっているのです。

それは、ある程度は本能的なものであり、自分は子供を望まないと決断した人でさえ、潜在的にはそのような考え方を抱え込んでしまいます。

他人の悪意は簡単に受け流すことも立ち向かうこともできます。しかし、自分の内面でそう思っていることは、なかなか否定しづらいのです。

「子供を産んだほうがいい」という考え方を攻撃する人たちの盲点

この問題が難しいのは、善悪や正否の問題ではないことです。

「自由なんだから産まなくてもいい」も、「次世代のために産むべき」も、どちらも正しくて間違っています。だからこそ難しいのです。

インターネットのSNSなどを見ると、「子供を産むべき」という考え方を否定するために戦っているような人たちがたくさんいますが、このような人たちの仲間になるのはちょっと考えものです。

ある考え方を正義だと思い、何かを攻撃しだすと、必ず行き過ぎたことになってしまいます

例えば、有名人やテレビCMなどが、不用意に「人は結婚して子供を作るものだ」と解釈できてしまう表現をすると、そこを一斉に責め立てて謝らせようとする人たちがいます。このような行動は、支持が得られないどころか、目的としていることと逆の結果をもたらしやすいのです。

ある行動が良いものと見なされるか悪いものと見なされるかは、状況によって変わります。

皮肉なことに、「子供を産もうが産むまいが自由な社会」は、子供が十分に産まれて少子高齢化が解決されることで実現します。

一方で、みんなが子供を産まなくなって少子化が深刻になるほど、「子供を産め!」という圧力が強まっていきます。

つまり、「子供を産むべき」という考え方をする人たちを攻撃することによって、それがやがては自分たちへのより強い非難となって返ってくるのです。戦うことで自分の敵をどんどん強くしているようなものです。

大切なのは、攻撃ではなく「思いやり」です

今の日本では、子供を産もうが産むまいがツラいのです。「子供を産まない人はフリーライダーだ!」とネットで主張している人は、実は子育てと仕事の両立に苦しんでどん底の状況にいるかもしれません。

自分がツラいからと言って誰かを攻撃するようなことをするほど、地獄のような状況から抜け出しにくくなるのです。

結婚や子供の有無で人生が決まるなんてことはない

人はさまざまな事情、理由、信念で子供を産まないという選択をするし、そもそも欲しくても産めない人はたくさんいます。結婚しても離婚したり、子供を産んでも子供と不仲になったり、病気や事故などで子供が先に失くすなどの不幸に見舞われてしまう人も数多くいます。

人生何があるかわからないのです。

他人や社会は色んなことを言ってきたり要求してきたりしますが、「人間ってそんなものね」と気楽に考えて受け流してください。あなたの人生はあなたのものです。

「○○すべき」という言葉を真に受ける必要はないし、思い悩んだり反撃するのも時間と気持ちの無駄なのです。

長々と書いてきてしょうもない結論で申し訳ないのですが、「人は結婚して出産すべきか?」なんてことを考えるよりも、「あなたの人生を良い方向に導いてくれるものは何か」を真剣に考えたほうがいいと思います。

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