世の中の男女は、見た目が良い人から順番にくっついてカップルになっていくわけではありませんよね。
必ずしも美男美女の組み合わせばかりではないし、そもそも美醜というのは相対的なものです。
世の中や歴史を見渡してみれば、様々な形の恋愛があることがわかります。
そして今回は、「精神的な恋愛」が、「オンラインゲーム」でこそ可能になるのではないか、という自説を述べていきます。
人は見た目で決まる?
『人は見た目が9割』『女は見た目が10割』『結局、人は顔がすべて』などという本があるように、外見とは非常に重要なものです。
「人間の評価や好き嫌いはほとんどが外見で決まる」という意見は根強くあります。
それはたしかにそうなのでしょうし、否定できるものではないと思います。
実際に、多くの男女が、見た目を重要視して恋をする相手を決めています。
「プラトニック・ラブ」……古代ギリシャの恋愛観
「プラトニック・ラブ」という言葉があります。
これは、「肉体の欲求ではない、精神的な愛」のことです。
古代ギリシャの哲学者である「プラトン」が、『饗宴』という著書で述べたことが元ネタになっています。
しかし、プラトンは実は、「まずは肉体的な美しさから始まって、だんだん精神的な美しさを好きになっていくことが素晴しいのだ」と説いています。
「プラトニック・ラブ」は、見た目に関係なく精神を好きになるのではなく、その逆で、まずは美しい見た目から始まるという、非常に外見重視の考え方でもあるのです。
ただ、プラトンの優れているところは、「見た目が良いから良い!」ではなく、そこから「精神的な美しさ」に向かっていくところです。
「見た目だけ」ではなく、精神の美しさを愛する心を重視した点で、非常に画期的な考え方であったと言えるでしょう。
人間という存在は、まず相手を視界に入れるところから出会いが始まるので、見た目が重視されないわけがありません。
「まずは外見から始まる」というのは、ごく当たり前のことなのです。
「外見から始まらない恋愛」はかつて日本で行われていた
一方で、日本という国は、「外見から始まらない恋愛」を発展させてきました。
その文化が花開いたのが平安時代です。
平安時代の貴族にとって、「顔を見る」ことは、「裸を見る」や「セックス」と同じくらい重いものでした。
初めてお互いの姿を見た男女が、そのまま行為に及んでいたのです。
それは野蛮だからではありません。実際に二人が会うまでに、優雅な文通や歌の交流を続け、恋愛が成就した時点で、互いに姿を見せ合うのです。
そのような文化は、『源氏物語』などに描かれていますね。

日本では、平安時代に、「外見から始まらない恋愛」が行われていたのです。(使いの者がいる貴族だからこそできたのですが。)
その文化は、戦国時代に入るにつれて失われていきました。
しかし、新しいテクノロジーが、「外見から始まらない恋愛」を復活させたのです。
それが「オンラインゲーム」です。
オンラインゲームの恋愛
オンラインゲームで恋愛が発生することはとても多いです。
ゲーム好きという「趣味が同じ」であり、共に戦ったりチャットをしたりと、同じ時間を長く共有するのですから、恋が産まれないほうがむしろ不自然と言えます。
オンラインゲームは、アバターとテキスト(文字)で交流するので、まず顔を見せて……という見た目から始まる恋愛ではありません。
顔が見えない状況から、お互いの精神性を好きになって、恋に発展していくのです。
平安時代に行われていた高尚な文化が、テクノロジーによって実現されたのです。
「相手はどんな人なのだろう?」と、ドキドキしたり色んな妄想を膨らませたりするというもの、顔の見えないオンラインでの恋愛の醍醐味です。
その気持は、かつて平安時代で行われていた貴族たちの恋愛に通じるものがあるのかもしれないですね。
「平安時代の恋愛と同じ」という意識でいれば、オンラインゲームがキッカケの出会いも、悪くないものだと思えませんか?
歴史を振り返ってみても、日本人のメンタリティとオンライゲームの出会いは相性がとても良いと思います。
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