「自由恋愛」と「不倫禁止」は矛盾している?

 

芸能人が「不倫」をすると、何かと騒ぎ立てられ、責められます。

矢口真里、ゲスの極み谷川絵音とベッキー、三遊亭円楽、渡辺謙、最近ではYouTuberの「はじめしゃちょー」などがが話題になりましたね。

日本には「姦通罪」という法律があり、不倫は不法行為に該当します。
刑事罰にはなりませんが、民事上の賠償責任が課せられます。

裁判ではほぼ確実に不倫をしたほうが負けになりますが、だからと言って国家によって違法とみなされているわけではありません。
慰謝料の相場は、状況によりけりですが、だいたい50万から300万の間と言われています。

そこまで大きな罪ではないけれど、「悪いこと」であるのは間違いないし、やったほうは慰謝料を支払う必要があります。
世間体も悪くなるでしょう。

今回は、不倫を禁止する姦通罪は、「自由恋愛」という考え方に矛盾しているのではないか?という話です。

「不倫禁止」と「自由恋愛」は矛盾する

昔は、家族や職業や共同体によって結婚する相手が決められていました。

「自由恋愛」は、家の都合などで勝手に結婚相手が決められることなく、自分たちの自由な意志にもとづいて恋愛することです。

自由恋愛は、身分制を廃止し、職業の自由や信仰の自由という基本的人権を重視する近代社会を象徴する概念です。

そして、一度「家族」になったら他の相手に手を出してはいけないという「姦通罪(不倫禁止)」と、「自由恋愛」の概念は、矛盾、あるいは衝突(コンフリクト)しています。

「自由」を重視するならば、いつ何時でも、人は自分の思った相手と恋愛できなければおかしい。

別の相手と結婚した人同士でも、お互いが好きになってそれを望んでいるのであれば、自由に恋愛できなければならないのです。

だんだん「自由」になってきている

ただ、歴史的なスパンで見ると、「不倫」の罪は軽くなってきています。

日本の場合、例えば江戸時代の「公事方御定書」では、不倫をした男女は両方とも死罪でした。

現在は、刑事罰にすら課せられませんから、だんだんと「不倫」は制度上は許されるようになってきています。
「自由恋愛」は進んでいる途中にあるのかもしれません。

その理屈でいけば、これからは夫婦間の「不倫」も許されるようになっていき、もっと大勢が、結婚しているしていないに関係なく、自由に恋愛できるようになるかもしれません。

それでも「不倫」は大衆に叩かれる

一方で、ネットやマスメディアの風潮は、より「不倫」に厳しくなってきているかのように思います。

石田純一は「不倫は文化」と言ってのけましたが、現在のタレント業・人気商売の人達は、不倫がキッカケで人気が急落してしまいます。

「自由」になったからこそ結婚できない男女が増えているように、一般大衆は、「自由」になりすぎることを恐れているのかもしれません。

不倫を嫌うのは歴史的な知恵?

日本では明治31年に、民法によって制定されるまでは、事実上の一夫多妻制でした。

そこから「一夫一妻制」になり、ある意味では厳しくなったのですが、これは女性と男性の立場を均し、近代国家として認められようとする側面が大きかったです。

現代において、「一夫一妻(一妻一夫)」にしたほうがいいのではないかと主張する言論人は多いです。
あるいは、「結婚」という制度自体を、なんの制限もないものにしてしまえばいい、という考え方もあります。

「一夫一妻制」は子供を産み次世代を育てるという点では効率が悪く、もっと「自由」にしたほうが、人々は幸せになれるのではないか、というのは、検討に値する考え方です。

しかしこれについては、色々と懸念があります。

  • 一部の強者に富が集中してしまう
  • 扶養控除など、今までの社会の仕組みが壊れてしまう
  • 結局のところ女性の立場が弱くなりがち
  • 結婚できない男の不満が溜まり社会が不安定に

などです。

「自由恋愛」の価値観を追求するなら、「姦通罪」は廃止するべきだし、「一夫多妻制」や「一妻多夫性」を認めるべきでしょう。

しかし、男女の自由を制限する「結婚」は古い知恵でもあります。

「自由」を追求し続けると、何か大きな災いが人類に降り掛かってくるのかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。