昔の人はどんな恋愛をしていたのかって、気になりませんか?
同じ日本という国でも、時代が違えば、男女のあり方もまったく変わってくるのです。
今回は、江戸時代に、江戸(東京)に住む男女が、どのような恋愛をしていたのかを紹介していきます。
男女比が「2:1」で、女性が少なかった
江戸時代の江戸の町は、推定で、男性が2人に対し女性が1人という、女性が非常に希少な状況でした。
当時は、「参勤交代」という制度があり、たくさんの武家の男性が江戸に集まってきました。
また、田舎で仕事がない農家の二男三男も、仕事を求めて江戸に流れてきました。
都会だったので、建設工事など、男用の仕事がたくさんあったのです。
そのため、女性の数に対して、男性の数が極端に多かったのです。
「引く手あまた」の江戸の女性
人数比的に貴重だった女性は、男たちから引っ張りダコでした。
制度としては、「男性は不倫をしてもいいけど女性は不倫をしてはいけない」など、女性の人権が無視がないがしろにされていました。
しかし、実際のところはどうかと言うと、恋愛の主導権は女性が握る場合が多かったみたいです。
なぜなら、圧倒的に少ない女性は、選べる立場だからです。
男性は、女性の気を引くため、モテるために、いろんな工夫や努力をしていました。
江戸時代ではどういう男がモテたのか?
江戸時代には、優男や、力士、火消し(消防士)、与力(事務職)などが、女性に気に入られる男性の特徴・職業でした。
優男
今となっては死語かもしれませんが、男性的ではない、なよなよしい優しい男のことを「優男(やさお)」と読んだりします。
江戸時代の男性の仕事は、ほとんどが力仕事でした。みんなが日焼けしたマッチョだったのです。
そのためか、筋肉隆々ではない、細身の、清潔で色白な男がモテました。
「男らしいタイプ」よりも、小奇麗な男性が女性から高評価だったのです。
力士
江戸の人気スポーツと言えば、「相撲」です。
今で言うスポーツ選手が力士(お相撲さん)にあたりますが、女性から黄色い声援を送られていました。
当時の力士は年収も非常に高く、一握りの大きくて強い男しかなることができませんが、そのぶん女性にモテました。
火消し
現在では消防士にあたる職業ですが、当時の火消しは「男の中の男」というポジションで、男性からも女性からも憧れの存在でした。
家が木造ばかりだった江戸では、火が燃え広がりやすく、火事は人々の脅威でした。
常に身体を鍛え、命を危険に晒しても消火活動に従事する「火消し組」は、感謝され、尊敬される存在でした。
与力(よりき)
与力というのは、江戸時代の事務職で、お役人でした。
武士の身分であり、給料が高く、現在で言えば「家柄の良い公務員」のような立場です。
これも女性にモテました。
まとめると、江戸時代では、色白で清潔感のある優男、花形(スター)である力士や消防士、高級で身分の高いお役人が、女性に好かれました。
どうですか? なんだか、現代とあまり変わらない気もしませんか?
「できちゃった婚」や「離婚」が多かった
江戸時代の温泉は男女混浴だったなど、性に対しておおらかな文化でした。
結婚する前に子供ができる、俗に言う「できちゃった婚」も多かったらしいです。子供が出来たからと言う理由で結婚していたのです。
また、離婚率も高く、バツ2、バツ3などはざらにありました。
夫は妻に対して「三行半」という離婚状を突きつけることができ、離婚する条件は、妻の嫁入り時の持参金をすべて返すことでした。
つまり、お金さえ返せばすぐに離婚することができたのです。
一方で、離婚を重ねた男性が次に結婚できる希望は望み薄だったのに対して、引く手あまたの女性の場合、バツ2、バツ3だったとしても、すぐ再婚相手が見つかる場合が多かったそうです。
男性ばかりの江戸時代が産んだ文化
女性に対して男性が過多だった江戸時代は、現在に続く様々な文化を産みました。
吉原や春画
吉原(風俗店)や春画(ポルノ)もそのうちの一つです。
恋人もできず、結婚することもできない男性たちが多く、彼らの性欲を解消する文化が産まれてきたのです。
それは、現在の二次元カルチャーにも繋がっているかもしれません。
外食産業
また、江戸では外食産業が発展しました。
妻を持たない単身者が多く、彼らは家で食事を作ったりしたくないし、作ってくれる人もいませんでした。
そのために、「寿司」や「蕎麦」や「てんぷら」など、日本を代表する外食文化が発展していきました。
実は、東京は「外食店」の数が世界の他の都市と比較しても圧倒的に多い都市です。
特に「安くて早い」外食店の質と数は、他を抜きん出ています。
そのルーツは、女性が引っ張りだこで、妻を持つことができなかった男性が圧倒的に多い江戸時代にあるのかもしれません。
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